武士道から学ぶ悔いのない人生

「天より与えられたこの命、燃え尽きる最期の日まで、思いのままに生き抜いてくれようと思う。長いか短いかの問題ではない。後世に名が残るか、残らぬかの問題ではない。いかに、おのれが己らしく,生を全う出来るかが大事なのだ」*羽柴秀吉談・・・軍師の門より

自分らしくの自分とはいったい何なのか?親からもらったDNAは元はといえば宇宙の彼方から来た物質である。それが形を刻々と時間をかけ変化していった。放っておいても変化はするが人が人たる本質は文化であり文明である。(文明は文化が他の文化に波及して出来る)となれば自分らしくとは自分の意図を持つことである。生まれた時、意図を持ち生まれてくるわけではないから、人が年を重ねるごとに体験していく環境に影響されながら「こうありたい」と次第に思うようになる。

普通は漠然と思うだけで想いが思考につながらない。だから思うだけで実現しない人生を大半が送ることになる。自分の思いを「自分らしく」にするには思いに杭を打つ必要がある。それを哲学と呼び思いに合理性、納得性を求めていくことになる。

結局は自分らしくとは親のなしえなかった夢を実現するとか、周りに感化され「我もかくありたい」と奮い立つなど人からしか自分を見ることができないようになっているのではないのか?

とはいえ自分を迷わせてはいけない。なぜならまわりも迷ってしまうから。ワクワク感を持続していくには、いくつかの仮説を現実のものとして自分の中に落とし込む必要がある。

①人生を100年と決めてしまうこと。これは一番大切な仮説だと思う。いつ死ぬかなんて誰にも分からないからと言って自分の人生の最期を曖昧にしておけば晩年やることがなくなり、モチベーションが下がっていく。死ぬ日を決めることにより壮大な人生計画が生まれ、自分の集大成が可能となる。