錯覚

人間五十年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生を得て 滅せぬものの あるべきか  信長が好んだ敦盛である。

いくら長寿であろうともいつかは死を迎える。死はすべての生命に平等に与えられる。いくら長生きをし、いくら栄華を誇っても、それはただ生きているというだけで、きわめて空しい生き方である。であれば真実なるものを求め、いかに生きるかが重要であるという意識である。

何もしなくても時間は死に向かい刻々と過ぎていく。今が最高と思えばよいと感じる。老いは確実に日々進んでいるという事実を50を超えて感じる回数が飛躍的に増えた。

老いとの戦いは、まさに努力しかない。健康を維持するのも戦い。不安を感じながら日々を過ごすのではなく、尽きる事のない夢の実現の為毎日をささげる。お金と人からの承認は結果であり目的ではない。

我々は日々今の生活が永遠に続く錯覚をしている。たまに目覚めたまに思い出す。とくに海外から自分を見つめると毎日無為に過ごしている自分に気が付く。海外から日本を見ると日本の閉鎖性や小ささがよく見えるように自分の小ささがいやというほど見えてくるから不思議だ。