経済人の終わり

「経済の成長と拡大は、社会的な目的を達成するための手段としてしか意味がない」(『「経済人」の終わり』)経済の発展は社会的な目的の達成を約束する限りにおいて望ましい。約束が幻想であることが明らかになれば当然その価値は疑わしくなる。社会秩序および信条としての資本主義は経済的な進歩が個人の自由と平等を促進するとの信念に基づいていた。これに対しマルクス主義はそのような社会は私的な利潤を廃止することによってもたらされると期待した。資本主義は自由で平等な社会を自動的に実現するための手段として利益を積極的に評価した最初で唯一の社会的信条だったという。資本主義い残の信条では私的な利益は社会的には有害なもの、少なくとも中立的なものと見ていた。かつての社会秩序においては、個人の経済活動は意図的に狭い領域に閉じ込め社会的に意味のある領域に与える影響を最小限にしようとしていた。しかし資本主義は、経済に独立性と自立性を付与した。それどころか経済活動を非経済的な要因に左右されることのない上位に位置づけた。「まさに、経済的な進歩が千年王国を実現するがゆえに経済的な目的の実現の為にあらゆるエネルギーが注がれなければならない。これが資本主義である。しかし、それは本来の社会的な目的を実現できなければ意味をなさず、正当化されず存続の可能性すらない」(『「経済人の終わり」』)